手習い算命学

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☆実践算命学・基礎レッスン2―41

   

算命学は陰陽五行説ですべてを捉えて行きますが、陰と陽と言うのは必ず、一対になっている事で、物事が成立している事になります。そのために「人間」と置くと、当然、男性と女性がいるから人間になるように、どっちもあるから成立すると考えます。

そのために、一日と言うのは昼と夜があるから、一日になると言うように、当たり前のことを当たり前に分けて考えます。ですから、昼はあかるいので陽ですし、夜は当然陰と言うふうに、対比させるという事だけですから、それに対して、どっちが大事か?とか、どっちが正しいのか、と言っても全く意味がない訳で、昼があるから夜があるし、夜が無ければ昼も来ないと、その段階では全く深い意味もありません。

ですから、鳳閣星と調舒星の比較と言うのでも、どちらが良いとか悪いとか、全く関係なく、陰と陽の伝達本能のエネルギーの違いを考えるのです。

前回で絵画で比較しましたが、例えば、ピカソが人間の顔を描くと、どこを見ているのか判らないような顔を描くと言うふうに、芸術の世界と言うのは、彼から見るとそう見えるのでしょうし、又、彼が感じた事、見えた事を、絵にしてみせるとこう言う絵ですよと言うように、調舒星と言うのは、もう一つ、間接伝達と言う意味もあります。ですから、対比させると鳳閣星は直接伝達です。

顔のパーツは最初から決まっているし、どっちを見ているのかもみんな同じだから万人共通の理解があるものですら、彼が見えた事、感じた事を絵にすると、抽象画と言うジャンルになる訳ですね?

音楽でも全く同じで、作曲家と言うのは固有の「感性」を音として表現する訳ですが、その曲を聞くと、なぜか分らないけれども涙が出てきたとか、鳥肌が立ったという事があるのはなぜか?と言うと、言葉ではとても表せない情動のような形のない世界になる訳ですから、これが感性の世界になります。

よく、絵の上手な人などは、見えたように描くだけだ、と言う訳ですが、同じ風景なり、静物を見たとしてもそれが描けない筆者のような凡才は、見えていないという事になるのでしょうね。ですから、その違いは固有の才能と言うものが入るという事でもあるのです。

 

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