☆実践算命学・基礎レッスン2―43
前回のお話しの続きからです。霊感と言うのはなんでしょう?例えば、お化けが見えたとか、聞こえたとか、これはいずれこうなるんだと言うような予知などを考えてみると、これは、当然、五感と言う共通項以外の世界の裏の感性になるという事になります。
ですから、例えば、お化けが見える人にとっては当たり前にそこに居るとしても、見えない人にとっては全く判らないという事であり、相手には通じない訳ですから、こんな孤独はない訳です。しかも、どうやら、それぞれに感じる世界もみなさん違うもののようですね。
しかし、理論上では、陰陽論ですから、誰でも共通の五感に対して、裏側の五感もみんな持っているはずなのです。
例えば、何かの習い事をするとして、最初は誰でも同じように、テクニックを習う訳です。お花ならばこういう角度で、こういうふうに挿すんですよとか、お料理でも、これはイチョウ切りと言います、カツラムキはこうやりますと、そこまでは、同じように習うのですが、
では、実際にお料理を作るという段階になると、同じに習ったとしてもおいしい物を作れる人もいるし、全く食べれるものじゃない、と言う物を作るという人もいると言うように、そこからは分かれる訳です。いわゆる教えて教えられない世界と言う事で、習ったからと言っても、同じような成果にはならないという事は、そこには固有のセンスとか、感性、感覚の違いがあるという事になるという事ですね?
この形のない、感受性の世界が、裏側の共通じゃない方の六感以上を使っていると考える訳です。ですから、霊感と言うとおどろおどろしいのですが、そうではなくて、この感覚も当たり前に考えて行きます。
ですから、違いとしては、誰でも持っているけれども、それを使っている人もいない人もいるという事になるのです。
そうすると、調舒星のエネルギーに話を戻してみると、調舒星があるからと言って、必ずしもすべての人が、感性が鋭くて、みんなが芸術家になれるという事は当然ありませんが、少なくとも、何か人とは違う感じ方や、捉え方を持っているという事だけは確かという事になります。