☆実践算命学・基礎レッスン2―45
今回は、又元に戻して、調舒星の成り立ちとして何と何の十干から出て来るのかと言う違いを考えて行きましょう。
調舒星は洩気の陰陽から出て来る十大主星です。洩気と言うのは、相生の循環の中で、洩らすと言って、エネルギーを出す方向になります。
日干が木性で考えると、洩気は木生火になりますから、相手は火性と言う事になります。さらに、陰陽の掛け算で説明してきたように、鳳閣星は陽の星なのでどちらも+同士、-同士でしたが、調舒星は陰の星の「-」ですから、必ず、+×―の陰陽の十干から出て来ます。
では日干甲木の陰陽の洩気は?甲木は陽の+ですから、相手は木生火の陰です。火性は陽が丙火で、陰は丁火でしたね?ですから、日干甲木で調舒星が出て来るのは、丁火と言う事が分かります。
丁火は、火性の陰ですから、丙火の陽の火性が太陽なのに対して、地上にある人工の火はすべて丁火になります。
丁火のキーワードは孤明ですが、孤独な灯りと言うのは、ろうそくの火のように周囲がほの暗い中で、神々しく燃えている、お燈明のようなイメージになります。
元々炎のあかりと言うのは、キャンプファイヤーは夜にやるからロマンティックになる訳で、昼間の太陽サンサンの中では引きたたない訳です。
ちなみに、丁火日干の人はお見合いは夜の方が良いですよ、と言う事になるんですよ。ろうそくもLEDもシャンデリアも、人工の灯りですから、夜のライトの下の方がより引き立つ訳です。
では、日干の甲木が丁火の孤明の器に入ると調舒星が出来ますよ、と言うのはどういう事でしょうか?
洩気の関係として、洩らすというのはエネルギーを出す方向になるために、伝達本能になるのですが、物事を相手に伝えるという事は、おしゃべりもそうですし、何か文字で伝える、絵で伝えると言うように、自分にとってはエネルギーを出す事によって伝達する訳です。
では、孤明ですから孤独に照らすという成り立ちは、現実的には何を意味しているのでしょう。それは、鳳閣星の形が公の伝達として、誰にでも分りやすく正確に伝えるというエネルギーの質になるのに対して、調舒星は公というよりは、私的意見を伝えるという世界ですから、自分はこう思う、と言う固有の意見を伝える世界になります。
そのために鳳閣星がアナウンサーなのに対して、評論家とか批評家などのように、あくまでも自分の感じた事を言う世界ですから、もしかしたらその意見は万人受けはしないかもしれない訳です。
そのために、あくまでも私はこう思う、私はこう感じるという主張を通すという事は、孤独を恐れて居ては言えない訳です。例えば、ピカソの抽象画にある顔の絵などを考えると、どう考えても顔の中には正面の顔と横顔が半々に有るという顔はあり得ない訳ですが、ピカソさんはそう見える、そう感じるから描いている訳ですから、それが嘘だとか、本当だとかと言うのは無意味になるだけで、その描いた絵を気に入ってくれる人だけが、彼の才能を認めればよい訳で、万人受けを狙ってはいない訳です。
ですから、甲木日干で丁火の器に入っている調舒星と言うのは、最も調舒星らしさが強くなるために、それだけ拘りが強いとか、マニアックな感性によって物事を表現する、伝えるという組み合わせになるのです。